南海地震津波(高知県)

1946年(昭和21年)12月21日に紀伊半島沖を震源とする昭和南海地震津波が発生し、和歌山県、徳島県、高知県沿岸は大きな被害を受けました。以下は、被災直後の高知県下の被災状況を記録した写真です。

※写真/「南海震災」(高知県が作成した南海地震の震災記録映画)より抜粋

人的被害 家屋被害
死者・行方不明者 負傷者 全壊 半壊 焼失
中村市 291 1,065 1,919 1,372 163
高知市 231 334 1,106 1,959 2
須崎市 61 90 198 412 9
その他 96 347 1,623 5,262 22
合計 679 1,836 4,846 9,007 196


▲高知市内の浸水状況です。写真からは何処までが海か、川か、区別ができないほどです。左端が鏡川。
▲高知市内付近の浸水予測範囲です。
▲高知市では堤防が決壊し浸水が生じました。写真は被災後の堤防復旧工事の状況です。
▲家屋が倒壊し瓦礫の山ができました。家屋被害は17,000戸に及び、罹災者数は92,000人に登りました。
▲津波に対して強いコンクリート建造物も、地震によって壊滅的な被害を受けました。
▲軌道を支える盛土が地震によって沈下したり、津波に洗われるなどし、線路はグニャグニャに曲がっています。
▲浸水した市内では、水が引かず人々は船で移動せざるを得なかった。
▲漁船の被害は至る所で発生し、高知県下で約2,400隻が被災したと言われています。
▲落橋した四万十川の鉄橋の写真です。

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